top of page

無用の用

  • arts968
  • 2024年11月15日
  • 読了時間: 3分

更新日:2024年11月15日

]2024.11.15]


シンプルライフ 3年

ここ3年ぐらいやたら物を捨てまくり、シンプルに暮らそうと心がけてきた。しかしミニマリストのように極度に捨てまくれるはずもなく、少しは身軽になったという程度のシンプリストだ。それでも単なる思い込みからか、なんとなく心身が引き締まった感じがする。


昔からあった

極度に物を捨て去って人間の根源を見つめるという生き方や思想は古くからあった。

たとえば古代ギリシャの哲学者ディオゲネスは、ミニマリストの元祖だろう。あるとき彼は一人の少年が泉の水を両手ですくって飲んでいる光景に出会った。少年の姿を見ていて、自分はまだ水を飲むためにお椀を持っていることを恥じた。そしてこの哲学者は自分の唯一の所有物であるお椀を捨てた。かなりの変人だ。


中国や日本でも

物質的なものから距離を置いて生活することは、宗教者や隠者にとってはごく普通のことだ。そしてもともとそういった思想は東洋には多い。インドの行者や中国や日本の仙人などはその代表的なものだ。「方丈記」や「徒然草」などの根底に流れる無常観とかは、今の日本人の心のどこかにもあるのかもしれない。


ある種の快適さ

余分なものを持たない、不必要なことはしない、余計な人間関係は持たない……このように生活していくと、確かにある種の「効率」(コスパ?)がよくなることは事実。自分の部屋のレイアウトや身の回りの品々、服などの持ち物などをすっきりさせると、自分をとりまく小世界にある種の快適さとそれなりの達成感が生じてくる。少し不気味ではあるが。


デメリット

で、よく語られていることだが、ミニマリストになることのデメリットもまた多い。なかでも出かけるのが面倒くさくなること、これは私も思い当たる。それなりに秩序が整った自室や自分をとりまく世界から出ようとしなくなるのだ。つまり快適すぎて引きこもり状態になる。こうなると、生活の範囲がごく限られたものとされてしまうになりがちだ。危ない、危ない。「15分都市」 とやらの企てにも気づかぬうちに支配されそうだ。

 

いつのまにか効率主義に

シンプルな暮らしを心がけると、不用な物は買わなくなり、不用なことはやらなくなる。その結果時間やカネ、人間関係など多くの面でコスパ優先の効率人間となっている。これでは、なんとまあ効率主義の裏返しで資本主義の論理そのものではないか。

 多くのミニマリストの方々はそういうことはないだろうが、私は自戒しなくては。.

無用の用 余分な大地が欲しい
無用の用

「無用の用」で

古代中国の思想家荘子(そうし)が書いた「荘子(そう)」(ややこしい)に次のような話がある。


「大地は広大だが、人間が歩いて使うのは足で踏んでいる部分だ けだ。しかし、無用だからと言って足が踏んでいる地面だけを残して、その周囲をどこまでも深く掘り下げてしまったら、歩くことはできない」


同様の話は「老子」にもあるが、何を無用とするかの判断は結局バランスということになる。

ありきたりの結論だが要は使い分けということだろうか。


日本的な質素倹約・刻苦勉励にとどまるうちはよいが、「暴力的な清潔さ」にこだわるようになると、怖い。これは優生学的な思想、ナチズムへとむかうことを回避しつつ、何気なくシンプルに暮らしていこう。


15分都市 自宅を中心にあらゆるサービスの需給やコミュニティ活動が近く(15分以内)にあるという都市


bottom of page